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2012/02/03 小川洋子「博士の本棚」を読んだよ
小川洋子が好きである。
大好きである。
留保条件無しで好きな作家って数えるほどしかいないけど、小川洋子はその一人だ。
「小川」「洋子」という、言っちゃなんだがありふれた名前が、何とも特別な輝きを
持っている。
私がいまさら言う必要もなく、小川洋子は現代日本文学を支える大作家の一人なので、
もちろん有名ではある。
数年前に「博士の愛した数式」が映画化もされ、ミリオンセラーにもなったので、
この作家を知っている人は多いと思われる。
が、小川洋子ファンであれば当然の感覚だと思っているのだが、この作者の本領は、
「博士の愛した数式」のような温かみのある物語では無い。
むしろ、芥川賞受賞作の「妊娠カレンダー」や、短篇「ドミトリイ」に刻印された
湿った暗さこそが決定的にこの作家を特徴付けていると私は思う。
(ついでに言うと、この「可愛らしい」外見の作家からこういった文章が滲み出て
くるという意外性が堪らないのである。作品と作者の顔は関係ないんだけどさ)
で、エッセイ「博士の本棚」を読んだ。
小川洋子が村上春樹をいかに好きか、などがあからさまで、そういう面でも楽し
かったのではあるが、私の一押しはたった3ページの「言葉を奪われて」である。
フランスの「文学フェスティバル」に招待された時のことが書かれているのだが、
フランス語の分からない小川洋子は、当然にもみんながフランス語で文学について
語り合うという催しに無防備にも踏み込んでしまい、まあ例によってのほほんと
時を過ごし、ホテルのベッドで寝転がり「パンフレットを読み返してみたのだが、
結局最後までその会のテーマや、私が招かれた目的を理解することはできなかった」
とのたまうのである。
そして「次の日の午後の討論会メンバーの中に、自分の名前があるのを発見」して
恐れ戦いた彼女はしかし、いざその時がくると「もうどうにでもなれ」という気分に
なり、誰に遠慮することもなく日本語で自分の小説に対する思いを「べらべらと」
喋った。
「喋りたいだけ喋って、私は舞台を降りた。すっきりしたいい気分だった。」と
いう一文でこの短いエッセイは終わるのだが、何というこの文の爽やかさよ。
最後の「すっきりしたいい気分だった」がこの作家の強力な魔力の証明である。
つまり小川洋子はこういう作家なのであって、「博士の愛した数式」だけを読んで
その物語を「分かった」つもりになっているような人は注意した方が良い。
東洋屈指の黒魔術で煙に巻かれぬためには、読者の側にも真剣勝負の精神が要求
されているのである。
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