知られたことのない星座 > for Philo-Sophia
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2005/09/19 毒草の種蒔き:第一章「訪問者のチャイム」
日曜から月曜に変わる夜の三時、俺はいつものようにパソコンに向かっていた。
妻は少し前からぐずり出した子供をあやしていた。
俺は、翌日からの仕事に差し支えないように早くそのプログラミングを切り上げ
たかったが、きりが良いところが見付けられないままに焦りを募らせながらキー
を叩いていた。
チャイムが鳴った。
こんな時間に。いったい誰がどんな用件だ。普通じゃないぜ……
寝室へ行くと妻が不安そうな目でこちらを見て言った。
「気持ち悪い」
俺は微かな頷きで同意を示しながら、足音を忍ばせてドアに近付いた。
静かにドアスコープを覗くと、常夜燈で薄暗く照らされた廊下には誰もいない。
マンションの一番端で、廊下を歩く人からはドアの中を見られることのないという
この部屋のつくりを、俺はその瞬間まで有り難いことだと考えていた。見られない
ということは、こちらからも見えないということだなんて考えもしなかった。
そのまま一分程睨み続けたが、狭く暗い視界には何の変化も無く、澄ました
耳に届く物音も無い。
「ドア、開けないで」
妻が管理室に電話をすると夜勤の警備員が出て、今から見回りをして結果を折り
返し電話すると告げた。
結局、十分後くらいに警備員から特に異常は無かったとの連絡があり、その日、
我々は不安な気持ちで眠りについた。
そして次の日、別な警備員と管理人が、三時前後に不審な人物が出入りした形跡は
なかったしビデオにも人は映らなかったと教えてくれた。
「余程このマンションに詳しければ、確かに監視カメラの無いルートから出入り
することは不可能ではないんですが……」
歯切れの悪い様子で警備員は妻に説明した。
そもそもの最初の瞬間に妻が「気持ち悪い」と言ったその感覚は、確かに我々に
起こったことの核心に触れていたと思う。夜中に他人を不安にすることで悪質な
喜びに震えるような魂があるのかもしれない。それとも、より暗い犯罪行為の
ための準備的なアクションとして、ドアチャイムを鳴らす理由があるのかもしれ
ない。それとも……
ドアスコープの歪んだ視界には誰もいなかった。しかし訪問者は訪れたのであって、
それは我々の気を重くする気配であり、実のところいつも誰の近くにもいるかも
しれない訪問者なのでもあるが、いつもはどういうわけか忘れられているような
そんな薄い影の持ち主だったのだ。
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